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私たちの選択のもうひとつの側面

2010/04/23
フリースクールに行き始めたうちのおねえちゃん、
意気揚々と韓国へ!

ずっと在学している4~6年生は、これまでの経験から
すでに韓国の伝統舞踊が踊れるようになっており、何度も国際的な舞台を経験していた。
今回も招かれての出演なんだそうだが、
先日はいったばかりのうちのお姉ちゃんは、当然踊れない。
しかも数日でマスターできるような内容じゃないから、
今回は「お手伝い&応援」という名目で参加することになっていた。

しか~し!行くからには、外から眺めているだけに終わらせないのが、園長先生である。

結局、「最初に歌を歌ってからおどることにしましょう」と計画を変更し、
うちのお姉ちゃんも歌で舞台にあがるという場面を作ってくれたのだ。
だから本人は「傍観者」から「出役」に変わり、
一生懸命歌の練習をお風呂でやっていた。
「体験」することの大切さをきっちりと知っていらっしゃるのだろう。
さすが現場の方だ。

そんな風にさらっと変更がきくことが
やはり身軽な集まりであるところのいいところだと思う。

そんなわけで昨日
お姉ちゃんの方は本番にむけて
人生初の海外、そして単なる「旅行」じゃない、目的のある旅へと出発したのだ。

とにかく公立小学校に通っていたときとはまったく違う毎日が展開していて、
どきどきわくわくの連続なのだから、
楽しくないわけがない。
いいな~、いいな~と見ているこっちまで楽しくなってしまう。

というのが、私の目から見た今である。

これが、旦那のご両親にはまったく違ったことになるのである。
妹のフリースクール行きを選んだときも「常識はずれ」の「理解不能」な選択に
相当動揺されていたが、それでも最後は「お前たちが育てるんだから」といって
しぶしぶわかってくれた感じだった。
そのときにおじいちゃんは念を押して「お姉ちゃんだけはこのまま普通に小学校でいかせてやってくれ。
あの子をフリースクールに変えるってのは、絶対になしだからな」といっていたのだ。

「それはわかりませんよ。今はいかないっていってますけど、
この先本人がなんていいだすかはわからないんだから。」
と私たち。(でもまさか本当にいくって言い出すとは思ってなかったんだけど)

それがあっちゅう間に状況が180度変わってしまったわけで。
さあ、大変。

旦那が報告をしに行ったとき、
おじいちゃんは「怒り」
おばあちゃんは「泣いた」そうだ。

普通の教育を受けさせず、小さな世界に押し込めて、友達の数もすくない、教科書はつかわない、しかも認可されていない学校じゃないところで、免許のない先生が・・・ああどうなってしまうのか。
子供たちが「かわいそう」。

これは世の人が思うであろう「普通」の反応であるわけなんだけど。

それは十分わかっていることなんだけれども、
親としての私たちの選択をまったくもって「信頼」されていないということに
私自身がかなり感情的に反応した。自分でも「うわぁ~まだこんなに感情的に怒りがでてきて言いたいことが噴出すんだ」と思うくらいに反応したのだった。

人は「イメージ」で「判断」し「審査」し「白黒」つけたがる。
実際何が行われているか、一度も見たことないのに、
「わかっている」ようだ。
そして自分が自分の価値観の中で批判し判断していることに気がつかない。

どうして見てもないのにわかるのだろう。
どうして、「だめなこと」って決め付けるのだろう。

と思ったとき、それはまさしく「自分」もそうしていることがあるという
「お知らせサイン」だと気づく。

さて、ここからが、「奇蹟のコース」を実践中で「鏡の法則」を知っていて、
この世(宇宙??)の仕組みを勉強中の私のチャレンジである。まぎれもなく。

自分の状況を整理するためのメモ。

*親の言うことを聞きなさい。的な角度にすこぶる反応した私は
 「自分こそそれをしている」ということに気がつくために、この現象が起こっていると認めること。
*私に気づかせるためにあえて嫌な役をやってくれている旦那のご両親に
 「その役をやってくれてありがとう」と感謝すること
*旦那のご両親は、今の私バージョンの「旦那のご両親」であり、
 それは「鏡」であるということを知ること。
*旦那のご両親が孫に対して「投影」している信念や価値観を
 「否定」するのではなく「許す」こと。
 相手ではない。原因は私にあり。私自身を「クリーニング」すること。
*日々、自分がわくわくする高い波動にいることを自分に許すこと。
*自分自身を「信頼」すること。

ほら、すごいよこれ。
旦那のご両親に「怒って」「理解して欲しい」なんて思っている場合じゃないよ。
そんなところでぐるぐるまわってないで、
エネルギーを前向きに使うときだよ。

って、自分に言って。
こんな経験ができるのも、子供という「天使」の存在があるからこそ。
だから、子育てはありがたく、面白いのだな~。

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10:13 気づき | コメント(0) | トラックバック(0)

バシャールにまた会えて嬉しいな

2010/04/19
という素直な心の声をタイトルにさせていただいて、ご存知バシャールの新刊本をご紹介。

未来は、えらべる! バシャール 本田健未来は、えらべる! バシャール 本田健
(2010/03/25)
本田 健ダリル・アンカ

商品詳細を見る


はあもう、バシャールの言葉に触れることが、とっても嬉しいのでございますよ。

バシャールファンの方も、バシャール初体験の方も、
とっても読みやすいのに深く面白い内容にはっとすること間違いなし!
ぜひともお手にとってくださいませ。

本編には入りきらなかった内容が、特別に本を手にした方ならどなたでも
パソコンでダウンロードして読めるようになっていて。

そこに「ワクワクをのばす教育について」という項目があります。


人類の集合無意識の中にある「弱いものを支配しコントロールしたい」
という衝動から離れるという選択・・・この大きなチャレンジこそが
「子育て」という言葉の中に隠れている意味ではないかと思う今日このごろ。
(少なくとも私にとってはそうなのです)

親が(大人の)観念の投影ではなく、
子ども自身を尊重して信頼をもって大人としての本当の責任を果たす
ということは、一体どういうことなのか。

そんなことを常々考えていた今の私には
かなりヒットした内容となっていたので、
すごく面白く読ませていただきました。

知識を与えるのが教育ではなく、
すべては体験が教えてくれるということを
バシャールらしい解説で読ませてくれます。

ありがとう、バシャール!
また(本を通して)あえて嬉しいよ~
15:47 ブックレビュー | コメント(0) | トラックバック(0)

私たちの選択2

2010/04/15
前回の日記には、なんだかすごい続きがある。

***************

この5日間は、めまぐるしく動く5日間だった。

6歳の次女が「フリースクール」の入学式を終えた日。

フリースクールといっても、保育園の中なので、
というかそのまま子供たちがまざっている空間なので
中学3年生から赤ちゃんまでが同時に生活している場所なのですが。

入学式では、ホールで中学3年生の子から順に3歳児まで
一人づつ名前を呼んでくれた。

「はい」
手をあげて、我、ここにあり。

集団の中で、私ここにいますって確認して、
みんながその存在をみとめていくという、すてきなやり方だ。

高学年のお姉さんがつくってくれた手作りの名札に、
つみとってきた野の花の花束をもらって、
6歳ながらに「自覚ありき」の「私、小学生になったんだ」という入学式。

自覚がともなうということは、誇らしいのですね。

なんともいえない誇らしげな顔の姿は、
きっと高い波動なのでしょう。
家の中がもうその波動に染まっていくんです。

で、入学式を終えた、その夜。

「私は学校変わるの嫌だよ」と宣言し、
公立小学校の4年生に進級したお姉ちゃんの方が、
言い出しました。

「私もフリースクールに行きたいといってもいいか」と。
「遅くないかな」と。

「本気?本気で言ってるの???」
 
「本気だ。行きたい!!!」

それから、あっちこっちと話をつけて、
月曜日から大路線変更。

あれよあれよの間におねえちゃんまでフリースクールに行くことになったのです。
妹がもってきてくれた高い波動が、何かを呼び覚ましたに違いない。
それを感じて素直に反応できるおねえちゃんもすごい。

受け入れをお願いしたとき、園長先生がいってくれたことば。

「子供はわかってますよ、この選択がどういうものなのか。
 考えたんです。今のままはよさそうにみえるけど、その先の私はどうかな~。
 こっちはなんだか大変そうにみえるけど、その先の私はどうかな~。
 そして、こっちに行きたいと声を上げたんですよ。
 よくぞ言った。表彰状もんですよ」

そんな風に目線付けしてもらえる”幸せ”。
「自分の心の声にしたがって生きる」ことを選んだといっていい、大きな選択。

そして月曜日、もう一回入学式を開いてくれた。

名前を呼んでもらい、手作り名ふだをもらって、
我ここにありと存在を表明した。


入学1日目。
すでに決まっていた高学年が「韓国」に踊りに行くという行事に
お姉ちゃんの方が「応援隊」として同行することになりまして。

あわててパスポートを申請し、
ばたばたと私が手続きに奔走する中、

本人はたんぽぽの花を友達と2人で200個つんで、
お台所さんにお願いして「てんぷら」にしてもらい
みんなで食べたそうです。

自分でノートをつくり、(紙を糸で縫って)
絵を描いて。

公立小学校のやり方がしみこんでいる姉、帰ってきていった言葉。
「今日はなんにも勉強しなかったんだよ!」と驚きの顔。

勉強ってなんだろうね。学びってなんだろうね。
たんぽぽとっててんぷらにして味わって感じることは
すばらしい経験で、たんぽぽの味、教科書にはのってないけど、
たんぽぽのこと、五感ですごくよくわかったよね。

ピアノに合わせて、リズム運動をして全身でエネルギーをだす。
音楽を全身で聴いて、リズムにのって体を動かし、みなで歌う。

おでかけが多いから、お菓子をもっていく場合がたくさんあるんだって。
そのときにスーパー袋じゃ味気ないからって、

自分で好きな布を選んで、
自分でおかし入れ巾着袋を縫ったんだって。
刺繍で自分の名前を漢字でいれていったんだって。

それで「ぜんぜん勉強しなかった」んだって。

おもしろいな。
教科じゃないんだ。好奇心だよ。
そこに「嬉しくて、やりたくて、わくわくして、一生懸命」が存在しているから
すべては真剣なる「遊び」なのだ。
人間「頭」だけで生きている生き物ではない。
味覚、聴覚、触覚、視覚、感情。
それをフルにオープンにして、全部で世界を感じ取って学ぶことができる生命体なんだ。
それをしていいんだよって、祝福されるってすごくいい。

すばらしい学びが今彼女の中に大変革をもたらしていて、

1分でも長く寝ようとして起こしても起こしてもぐずぐずして不機嫌だったあの朝が、
起こさなくても歌いながらおきて、
準備ばっちりで「早く行きたいよ~」という声をきく朝に変わった。

たった5日の間のできごとだ。

先日の発言
「あ~、今日は勉強したいな~」

すごい。すごいことだ。
あんなに「やりたくない」とさけびながらいやいや宿題してたのに。

ほら、やりたくなっちゃった、勉強。

「やりたい」「知りたい」から出発する日々の回転で、彼女がどうなっていくのか。
楽しみであることこの上ない。



ヒーラー高田氏が教えてくれた「エネルギーの法則 マストとウォント」

 *マスト・・・しなきゃならないことをするのに必要なエネルギーは
       本来のエネルギーの1.3倍。

 *DO(する)・・・プラスマイナスゼロ。

 *ウォント(したい)・・・70%のエネルギーで、できちゃう

そうです。
11:02 日常 | コメント(4) | トラックバック(0)

私たちの選択

2010/04/10
6歳の娘が、保育園を卒園した。
すばらしい卒園式を感動の中で体験した。

そして、考えていたある選択をするときがきた。

小学校。

実は、今年にはいってからの私の頭の中は「娘の小学校をどうするか」という選択のことでいつもいっぱいだった。

いろんな脱皮があり、発見があり、感動があって、あるひとつの方向へと走り始めた。

普通なら、小学校といえば、地域の公立小学校にいくのが常であろう。
だけど不思議なことに(というか必然なんだろうけれど)
私たち家族の前にはもうひとつ、世の中的に言えばちょっと特殊な選択肢があった。

それは「フリースクール」。
学校として認定されていない、いってみれば「集まり」である。

「私立」とかなら、選択は簡単だったかもしれない。
しかし「フリースクール」であったために、考えることも多く、
だからこそ、落としていけた「買い込んで来た信念」があった。

もういらないはずのビリーフがあるがために、
生き生きと生きようとする心の声はかきけされ、
じわりじわりと自分ではない選択をかさねてきたことに
いかに私が「目をつむって」きたのかが本当によくわかったのだ。

どの信念を「価値観の中の優先順位一番」におくのか。
いろんな思いがごちゃまぜになっていたからきっと迷ったのだと思う。
でも迷っていく過程の中で
本当に一番大切にしたいものは何かという問を
自分の心にぶつけたときに、
優先順位がうまくつけられたと思う。

自分の中にあるいろんな考えを否定するのではなく、
あくまでも優先にしている価値観を把握していく作業。

NLPでいうところの「ビリーフチェンジ」ってこういうことなんだろうなと、思いながら。

人間、本当に意識をもってことにあたるときには
自分でちゃんと「ビリーフチェンジ」するんだってこともよくわかった。
NLPのスキルをつかって気づいていきながら整理していくこともスマートな方法だろうが、
それがなくても、やるときはやるんだな。と。

前に進む上で、以前は役にたっていた信念が、
それがあるがために混乱や苦しみを引き起こしている、という場合。
信念事体を見直していき、いらないものは格下げしていくという作業といえる。

今年に入ってからの私のテーマは、
「どういう状態でそれを選び取るか」。
たとえ選択する結果が同じでも、その選び方が大切だと思っていた。

「公立小学校にいったら、子供がだめになるかもしれない、だからこっち」
とだけは、やりたくなかった。
不安や恐れを理由に、別のもうひとつの選択をとることは
不安や恐れを増幅する結果を生むだけだから。

そのことは意識していたものの、
フリースクールを選ぶまでの過程は
[理屈ぬきに感動している心の奥] VS
[いろんな理由をわ~わ~さわぎたてぶっつぶそうとする「自我」]
の戦いだったといえる。


1月の時点では
4月の自分がどんな状態で選択しているのか、予想もつかなかった。

「信頼」して「わくわく」して嬉しくて嬉しくて
選び取れるかな。

結果。
迷いなく、取れました!

やってみてわかったこと。
それは「頭」で考えて選ぶという作業ではなかったということ。
心の声を「妨げているもの」を取り除く作業をして、
心の奥底が喜ぶことを”感じて選ぶ”。
ということだった。

だから、なんだか奥底から、意味もなく、すごく嬉しい。

そしたらね。

動き出しましたよ、一気に流れがそっちに切り替わって、
もう私がびっくりするような展開があれよあれよと。

当初はあっちこっちをむいていた家族が、
自分自身で選びとり、
同じ方向をむいたのです。
マイナスからはいった旦那も「主導権」を発揮して、父としての方針を決定してくれた。
「ランドセルしょって(公立)小学校に行くんだ~」といっていた当の本人も。


そして私が得たこと。

「私自身が生き生きと、その瞬間にいかに心の声が示すことを選んでいけるか」
それが試されているんだなと。

子供は、思い切り「鏡」ですから、
私がチェンジしたことで、
目の前の家族が、
それぞれすごく変わったと、感じているのです。

だから育てているようで、親が育てられているのだなと。
これぞ、子育ての醍醐味。

新しい季節に、昨日とは違う瞬間を感じつつ、
咲き誇り散りゆく桜を感慨深く眺めている。

時は常に動いているのだ。

今、この地球のこのバージョンの自分で存在することに、感謝!
15:51 気づき | コメント(2) | トラックバック(0)
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