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名なしの・・・

2009/08/27
先日書いた子供のキャンプ・3泊4日の解放デー。
母という役割から解き放たれた気分になったあの感覚を一言で言い切ってくれた人がいる。

安部清明。陰陽師。
その一言とは・・・

「この世で一番短い”呪”とは、名である」

漫画「陰陽師」。
はやくも一巻でこんな名台詞が飛び出す。
とはいいつつ、目新しい内容ではなく、これっぽい話はよく聞く話。
「本当の名を相手に知られたら終わり」みたいなやつ、あるよね。
それだな~なんて読み進んでいたら、その後の清明さまの説明が、すごいのだ。

「山とか海とか草とか、そういう名も呪のひとつだ。呪とはようするにものを縛ることよ。ものの根本的な在り様を縛るというのは名だぞ。たとえば俺は清明という呪をかけられている人ということになる。
眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることができる。」

この部分を読んで、思い出したのが、
「The Journey 癒しへの旅」という本のくだり。
NLPのトレーナーでもあるのが、著者のブランドン・ベイズ。
彼女は、子宮筋腫を自然治癒させた後、病気をつくりだしている心の固まりにアクセスする方法を編み出し、
NLP的なスクリプトにまとめることに成功した人物だ。
人生に起こったさまざまな出来事が、彼女の意識を目覚めさせていくわけだが、
あるとき、家が焼けてなくなり、夫が別の女と結婚するといい、子供がもう会わないといって出て行き、お金もまったくない状態になった。

そのときのことを彼女はこう書いている。
「自分の知っていた自分のアイデンティティー、母であること、愛する妻であること、自分の生活、そして自分の生き延びる能力までもが剥ぎ取られてしまったのです。」

しかしこれこそが、”呪”。
母という名の呪。妻という名の呪。


安部清明は、こういっている。
「この世に名づけられぬものがあるとすればそれは何でもないということだ。存在しないともいえる。」

ブランドン・ベイズは
「「大いなる源」は私にとても深い教えを与えていたのです。腫瘍からは私が肉体ではないことを、火事からは私が自分の所有しているものではないこと、税務署からは私がお金や生き延びる能力ではないこと、娘からは自分が人間関係ではないこと、夫からは自分がロマンスや結婚ではないことを。自分はすべてのものがやってきては去っていくとき、変わらずに存在しているこの愛なのです」

****

いつの日か、自分に与えたすべての「呪」からさめた「何でもない」状態を
楽しみながら味わえるだろうか。
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13:57 気づき

母役の幕間

2009/08/10
うちのKIDSが二人ともキャンプに行った。
3泊4日。

あ~、3泊4日、解き放たれる私。

子供が産まれてからかれこれ9年近く、私が入院しているときをのぞいて
そう、元気な状態で、朝から晩まで子供がいない状態になるのは、初めてだ~。


母親という役をやらなくていい。
母親というかぶりものを脱いだらきっと
本来の私自身になれる!と喜ぶ。

本当の私って、何?
もしくは、誰?

はいはい、ACIM的にいえば、神の子。もしくは光そのもの。

肩書きや、役割や、名前や、見た目にはまったく影響されない
存在。

それはそうと、

何したいかな?
結局テレビみてウダウダ?

「有意義に使おう」と話す知人の言葉を聞く。

「有意義」→私、どうやって過ごすことが有意義なんだろう?
子供の世話から開放されて、母親というお役目をすっかり手放し
自分らしくいていい、となると、結局いつもどおりのことをしている姿に気づく。

とはいいつつも!

やっぱり、3泊4日は貴重なのだ。

難しいこと考えるの止めて、
思いっきり楽しむぞ~~~!
13:11 日常

夏の夜に思う

2009/08/07
何をさておき、何を優先させるか。

子供のころから私には、そんな「課題」が続いている。
しかも、学ばないから、課題は形を変えて現れ続けるんだ。
昨晩、そう思い当たった。

自分のことはさておき・・・

そのときに一番早くやったほうがいいことを優先させる傾向にある。
誰かに迷惑がかからないように行動することを優先させる傾向にある。
自分がちっとも困っていない顔をして事がスムーズに運ぶことを優先させる傾向にある。

仮に自分ってものをゆずれるだけゆずって、そのときの状況がすごくうまくいったようにみえたとして、
はて、何かいいことあったかな?

それって本当に「よかった選択、最善の結果」なのかな?

自分が楽しむ、自分が喜ぶ、自分が楽、自分が穏やか、自分にとってどうなのか。
それをもっともっと優先させてあげていいんだよ。

自分をさておかない。
そう自分に許してあげることができたなら、
ほかの人たちにも、
娘にも、夫にも、
心から許すことができる。

自分を大切にすることと、
わがままとの違い。

存在するキーワードは「信頼」だ。

相手を信頼し、世界を信頼し、起こっているすべてを信頼した上で、自分を信頼してあげる。
何かを取り繕う必要は、ない。

もしかして、いつか、どこかで、もしくはこのときの違うパラドックスの私が
奴隷だったことがあるのかもしれない。

と考えていたら「人権」というフレーズが耳に飛び込んできた。

人権って何?と子供に聞かれたらなんて答えるかな。と思考が動く。
人間に与えられた権利。

自分に与えてあげていい権利。

生きていることの権利。

それは、信頼されること。大切にされること。

自分が自分の『人権』を奪っていたかもしれないことに、今気づき、
それはイコール他人(という概念をありとすれば)への『人権』をも
知らぬ間に奪っていると思われる。

「人権」という言葉を口にするなら、
まずは自分を大切にするということを深く考えてみてからでも遅くはないなと。


とりとめもなく、夏の夜長に考えている。

13:09 道のり
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