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だから、ミッションは何?

2009/07/31
行動する理由を「お金をかせぐ」においた途端、
それは自分の世界の中で、「お金」のための行為以上のものになる可能性はかなり低くなってしまうかもしれない。

「キャディ」としてすごす時間は、私の中ではこういう位置づけになっている。

ミッションは『肉体と仲良くなること』。

キャディという仕事に身をおくことで、私がこれまで苦手としてきた分野が見事に補われるのだ。
それは、「肉体」活性化、自然とのふれあい、楽しめるスポーツの習得。

私はほっといても「思考体」の強化をするタイプ。
平気で座布団の上から何時間も動かない。
運動といわれると、即座に苦手意識が浮かび、やりたくない気分もりもりになる。
生きてきた中で体育の時間以外、スポーツしたことはほとんどない。

そんな私に、今ここにきて用意された扉は、どうやら「肉体」という与えられたツールを有効に活用するための第一歩らしい。

思考体と感情体と肉体が、何かにブロックされることなく、ひとつの方向へ向かって動くとき、
人間にはすばらしい可能性がひらけていくんだろうな。

この3次元の物質世界を生きるためにもっている「思考体、感情体、肉体」を自我とよぶ。
自我を道具として使いこなすのは、スピリットそのもの。

スピリットの愛に基づいた状態で、自我と仲良くなって、この3次元を楽しみたい。

というわけで、「思考体」強化期間から、どうやら「肉体」強化期間へと移り変わってきている私のこのごろ。

人生いろいろだな~。いろいろだから、面白い。


というわけで、そんなところに「キャディ」をすることのミッションをおいているので、
無給で研修することもちっとも苦にならず、有意義にすごすことができた。
感謝である。
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11:16 道のり

試されるということ

2009/07/26
アラフォーにして、知らない世界に飛び込み、新人としてやってみて感じたモノ。
「できない人」として見られる(自分もそう思う)ことに対する「重圧」。

できない。が大前提で、「できないイコールダメな人」という暗黙の了解があるなかでの
研修というのは、なにもしていないのに精神的にかなりのダメージを受けることがわかった。

これが、NLPでいうなら、つくってしまった「状態」。
人間に影響を与える重要な要素が「状態」。

ACIM的にいうならば、自我がつくった幻影。はじめから存在しないもの。

そう、その環境や状況や言葉が作り出した「まぼろしの重圧」に
かなり押しつぶされそうになりつつ、
「ああ、ここで学んだことをつかわなくてどうする」なんて思いなおして

とにかくリラックスしたいい「状態」をキープしつつ「キャディ」をすることを意識しながら
「検定」をうけて、
そして、どうにかこうにか 合格 しました~~~~!!!

新しいことに挑戦することで、自分の癖がよ~くわかりました。
まず、内的会話がかなりマイナス思考であることに、我ながら驚きました。

聞こえてきていた心の声ベスト5!

「ヤバイ」
「どうしよ、どうしよ」
「・・・・・・(固まる)」
「あ~疲れた、もういや」
「なんでこんなことしてるんだろう・・・」

そういう言葉がぐるぐる渦巻いていた時、はっと気づいて、まずは内的会話を
こう変えてみました。

「きっといいことが起こっている」
「落ち着いて、大丈夫」
「ゆっくりでいい」
「導かれている」
「これは夢」

そうすると、スーッと気分が楽になって、本来の自分らしさを少し出せるようになったりして。

2キロやせました。
体が変わってきている気がします。

アンテナとしての肉体。パイプとしての肉体。

8月から仕事として、キャディ業務がスタートします。


21:43 道のり

肉体を離れる間際

2009/07/03
旦那のおじいちゃん、つまり私の子供のひぃおじいちゃんが96歳の長寿をまっとうされ、
昨夜、他界されました。

先月はじめに入院されて1ヵ月後のことでした。

先週末、家族でお見舞いに行ったときのこと。
それまで苦々しい顔で、ほとんど目もあけない状態だったというおじいちゃんでしたが、
その日はいくぶん調子がよく、ひ孫がきたことがわかったのでしょうか、私たちが病室にはいって
「おじいちゃん」ってよぶと、ニコ~っと笑顔になりました。

肺がんから心臓にも水がたまっている状態で、呼吸が苦しそうでしたので、
肺のところにレイキをしていましたら、
スーッと呼吸が穏やかになりました。

そして、おじいちゃんは、空中を指して、何かがあるよと私に一生懸命教えようと
話しかけてくれました。入れ歯をはずしていることもあり、言葉は聞き取れませんでした。
けれども、すご~く幸せそうな顔で、子供のように純粋な笑顔が何かを物語っていました。
「ほら、あれあれ、きれいだよ」って言っているみたいな気がしました。

周りにいたお母さんや叔母さんたちは「幻覚がみえてるんだよ」といいました。

私は「波動が上がって、次元間の境界線が薄れているんだぁ」と。
私がレイキをしたことで、何かが見えたのかもしれないなと思いました。

3次元の物質世界を正しいとするならば、おじいちゃんがみていたものは「幻覚」かもしれません。
しかし今の私は、あの日あの時のおじいちゃんにとってそれは、「幻覚」ではなく
まさしく「見えていた」本物の世界なんだと、ただそのまま受け入れることができました。

そして、人が「死」の近くにいるとき、この現象は決してめずらしいことではないことも
父の看病を通じて体験していました。

その状態になったとき、すべてのこだわりから開放されたような
純真無垢な『笑顔』をみせてくれることも、共通点でした。

あの「笑顔」こそ、本来もっている私たち人間そのもののあり方なんだと、
「幸せ」の状態なんだと、思えるわけです。
自分自身を、自分のこだわりや信念や思い込みや思い出や予定や計画やお金や夢やなにやらから開放した状態。そのときにただ喜びとして存在してる状態。

おじいちゃんは最後にあの「笑顔」を、肉体があった姿の思い出として、私に残してくれたのでした。

おじいちゃん、ありがとう。
そして肉体を離れて身軽になった新しい世界をどうぞ楽しんでください。

ご冥福をお祈りします。
10:20 気づき
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