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母の大きな変化

2009/02/28
このところ、いろんな変化の波が押し寄せていて。
ブログの更新がいつになく頻繁

今日は、ものすごく嬉しい出来事があったので、自分への記録もかねてシェアさせてください。

昨日の夜、母と電話で話をした。
内容は、「お墓」について。
「お墓のことをもうきめなきゃなんない。でも決められない。どうしようか」という相談内容だ。

母の妹さんのご夫婦は、母の実家のお墓があるお寺さんに夫婦墓をすでに購入済みで、
母はかねてからそのことをうらやましがっていた。
というのも、母にとってどこの「墓」に入るのかは大問題で、私は小さい頃からよくきかされていた。
父は長男であり、したがって父の家の墓に入るのが筋なんだけど、母は絶対に入りたくないといううらみつらみの話や、海にまいてくれ、はたまた身延山に埋めてくれ、という話になったり。

けれど6年前に父が倒れてからは、実際問題すべてをきめるのは母の役目となった。
どうしたものかと具体的な話に上ることも多かった。
お墓の管理のこともあり、瀬戸内海に浮かぶ小さな島のやまの上にある父方の先祖代々のお墓はあまりにも遠く、またご住職さんもいらっしゃらなくなってしまったこともあり、移転する方向で話がなんどかでては母が決めかねるというのを続けていた。

で。昨日もその話。
これまではお墓の話をしだすと、感情的になって最後は喧嘩になってしまうのが、パターン。
なぜかというと、「お墓」の話をしているようで、内容は違うからだ。
母の心の中にある癒されない感情の噴出しと
そこから逃げることしか考えない母に、私はなんとかしようとするし、母はほっといてくれと叫ぶし・・・、ということになってしまっていたのだ。

ところが!昨日の電話はまるっきり展開が違った。
私の心の中が変化してきていることと大きく関係していると、確信する。

まず私が、おだやかに聞くことができた。
そして、「お墓」というキーワードが母の心におこすことを軽く説明し、
自分で自分の中の感情を開放しようと思えば、それはできる。
心の中に手放せてないものがあり、それをまずみつけて、認めて、手放せば、
お墓のことが決められるようになると思うと答えた。
だけど、自分がやりたいと思わないのなら、それはそれでもいいのだ。
母の好きなようにすればいいのだよ、といった。

母は、「うん。うん。言っていることはよくわかる」と聞いていた。
いろいろな質問がでてきたので、私の言える限りのことを、落ち着いて話せた。
そして、これは「やんなきゃならないこと」ではない。
「やりたい」と思ったら取り組むときだから。とつけくわえた。

そしたら、今日。お昼に電話がなった。母からだった。
「あんたの昨日の話をよく考えた。自分の内面をみつめてみようと思う。そして解放したい。
ただどうやっていいかまったくわからないから、そのきっかけになる本があったら教えて欲しい」という内容だった。

嬉しかった。本当に嬉しかった。

母が大きな一歩を踏み出した。

記憶の再生だった今までの人生から、
新たなる自分の創造、魂の創造の人生へ。

子供のころから、悲鳴をあげている母をなんとか救いたいとおもってきた。
小学生のときに、父と母をならんで座らせ「私たち子供のためだと思って離婚しないならそれはやめて。自分の人生を歩いて欲しい」と離婚を進めた。(→母に変化なし)
中学生のとき、当時キッチンドランカーだった母を「アル中は病気だ。だから治る。病院行こう」と説得し、精神科へつれていった。(→母に変化なし)

「私がなんとかしなければ」。
その気持ちを私が手放し、「すべてを信頼する」ということを本当に理解したら、
相手が変化した。
母も霊的な存在だと思って話をしたら、
相手もそのことを思い出そうとしてくれた。
これは絶対に、連動している。

嬉しい。母の大きな一歩がとにかく嬉しくて、ここにその喜びを載せさせてください。

ありがとう。感謝します。
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16:26 気づき | コメント(3) | トラックバック(0)

もう自分を責めない

2009/02/26
昨日、上の娘の小学校で今年度最後の授業参観と懇談会が行われた。

そう、学級崩壊していたあのクラスだ。

このところの状況といえば、先生が毎日ないているそうだ。
先生がのどを患って病院にいったそうだ。
数日後、また病院にいってお休みしたんだと娘がいう。

「うるせ~くそばばぁ」

前回の授業参観では、いつも問題視されている男の子がそう吐き捨てていた。

小学校2年生。2クラスしかない田舎ののんびりしたいい学校だ。
そのひとつの教室には、怒り声と泣き声と叫び声があり、そしてそれとは同化できないむじゃきな笑い声もまた響いていた。

さて、この状況をどう捉えるか。

私なりに1年間すごく考えてきた。

この先は、自分の今の気持ちを記しておくために、メモとして書かせていただく。

「先生。その子自身を愛してもらえませんか?」
昨年7月、一学期のしめくくりの懇談会で、私は先生にそういった。
しかしすぐにものすごく落ち込んだ。「あなたは愛せていない」というメッセージを送ってしまったことに気がついたから。そして同時にその言葉は自分自身に言ったのだということを痛感した。

コントロールしようとする心。支配されたくないとわめく声。
一体、どうして人はコントロールする必要性を感じてしまうのだろうか。
秋はずっとそれがテーマだった。

コントロールしなければいられない、その気持ちの奥にあることは、
この世界、目の前の魂の道に対する「信頼」のなさの現われだと知る。
そう、自分自身を魂として認識し、すべては私の小さな思考が考えるよりももっと壮大なスケールで描かれていることなのだ。ということを受け入れること。そして、それに安心して身をまかせてもいいんだと自分自身に教えてあげることから始った。

だから、私がなんとかして状況や相手やすべてをコントロールする必要はまったくないんだ。と。
それが腹に落ちたとき、やっと相手も魂ですべてが必然で起こっている。だからまるごとそのままを受け入れて愛せばいいのだと、心が思い出す。

そうして、コントロールしようする集合意識に「ホ・オポノポノ」を繰り返しやってみた。

年が明けて、相変わらずクラスは落ち着かないらしい。

教育ってなんだろう。
すべてが必然で(学級崩壊の環境も娘には、また子供たちには必要な経験であり偶然ではない)と信頼しようと勤めた。だけど。。。。
だけど、何かがやっぱりおかしい。
授業参観、どんなふうにみたって命がはちきれんばかりの8歳が、
興味もない話で、いたくない教室に、がまんがまんいやだいやだって信号だしながらすわっていなくちゃいけないんだろうか。これが教育だろうか。これを子供に教えたいんだろうか、私たち大人は。

そんな疑問がぐるぐるとうずまく。
子供にとっての教育って何? 教育システムへの疑問。
そうなると、もう相手は先生をすっとばし、文部科学省になってしまう。
教育制度。。。。。。

そして2月、先生はもう疲れ果て、毎日涙を流すという現実。

いやだと騒ぐ特定の男の子。自尊心が埋まっていないんだ。と、思う。
「あなたなんかいないほうがいい」という陰のメッセージを大人から受け取っている可能性が高い。
「もう、あんたが○○だから、大変なことになったでしょ、いい加減にしてよ」的な。
「○○してくれたらいい子なんだけど、どうしてあんたはいつもこうなの。」的な。

条件つきの愛を教えてしまった。だから、「○○できない俺なんていらないんだ」となり、
「おれがじゃまなんだ」「おれなんかいないほうがいい」「ほら、おれがどうなったってお前らには関係なんだろう」と自分の無価値感を証明したがる行動にでる。

そう教えてしまっているのは、親の可能性が高い。

どうすればいいんだろう。私は日ごろ人には「無条件の愛」とかというフレーズをくちばしりながら、子供には条件付きの愛をバシバシ伝えまくっているではないか。

そう、埋まっていない自尊心は、私の中にもある。インナーチャイルドがまだまだ泣いている。
騒ぐ子供に感情的になって怒る先生の中でも、小さな子供が泣いているのだ。
だから埋まっていない自尊心に「ホ・オポノポノ」を繰り返し行った。

今年度最後の授業参観にでかける直前まで、
今、はまりにはまって読んでいる「神との対話」で勉強していた。
続きは帰ってから読もう。と、きりのいいところで本を閉じた。

授業参観は、2年生全員による学習発表会。体育館に母のためのイスも用意してくれていた。
ピアニカや縄跳びを披露してくれて、最後はみんなで合唱。その歌声が元気一杯で、子供らしいまっすぐなエネルギーにあふれていて、私は嬉しくて感動して涙が止まらなかった。
よかった。と思った。

クラスであんなに苦しそうにしてた子達も、きっと今はストーンと気持ちを歌に乗せているんだ。
先生もこんなに素敵な歌をきけるんだもの、癒されるところもあるはずだ。

懇談会、先生がプリントをくばって、学習の進み具合や、来年度から変るという学習指導要領の変更点などなどの説明をしていく。
なんでもない話なのに、私はもう胸が苦しくて、重くて、つらい気持ちになってくる。
「何?何だろうこの感じ」・・・・・ハートが重くてズシーンとしているこの状態は初めてのことではなかった。最近はとんとなかったが、ヒーリングクラスに通い始めた前後にはよくあったと思い出す。

一生懸命逃がそうとするが、出せない。
静かに正体は何か、アプローチしてみた。
たぶん、先生、心の中で、自分をすごく責めている。
「私の責任だ。あの子供たちが汚い言葉を吐くことも、授業を妨害することもすべて私のせい」
そんな感じ。
そして、私の中の自分を責め続けている記憶が刺激されているのも感じた。涙がでそうになる。

実際の発言。
先生「3年生になって担任が変われば子供も少しはましになってくれるかもしれませんが・・・」

懇談会中「ホ・オポノポノ」をし続けた。
でもく、苦しい・・・。思わずはぁ~~~~と長いため息のような息を吐いたら隣に座っていた母友達に
「大丈夫?」といわれた。
吐いた息の重さに、自分でもびっくりした。

懇談会が終わって一旦は自転車までいったものの、やはり何かいてもたってもいられなくなり、先生のところにもどった。

先生、ありがとう。先生とてもがんばってくださった。なのに、私、実際には何もお力になれなくてすみません。ごめんなさい。それから、騒ぐ子が最後まで騒ぎ続けたことは先生のせいではないです。だからもう自分を責める必要はないですよ。本当によくやってくださいました。ありがとうございます。

先生は涙を流しながら、少しの時間だったけれど胸のうちを話してくれた。
うんうん。と聞いた。

今の私にはそれしかできなかった。だけど、それこそができることなのだとも、もうわかっている。
先生の学びを信頼する。

家に戻ってからも、胸の中の重たいものがどいてくれない。ムショウにビールがのみて~!!!
そうだ、数年前の私には、ビールを飲んで忘れるという対処法しかなかったんだ。と実感。
しかし今回は・・・
先日まですっごく楽しく読んでいた「ハトホルの書」という本に、
「たまった感情を音にして出す」というワークがのっていたのを思い出しやってみた。

ハートチャクラに(例のものがあるので)手を当てながら、そのエレメンタルを声にのっけてだしてみた。
「あ~~~~~」。すごく重く暗くいや~な声だ。
子供たちが一斉に「うわ、こわっ」と叫ぶ。(あやしい母よね・・・・)がおかまいなし。
とにかくもう、だしてみた。
お風呂で瞑想しながら、ピールアウトのワザを使いエーテルの手で残りをとってみた。
白くてにゅわ~っとしたものが取れた気がした。(あくまでもそんな気がした)

私は自分の中に、相手に影響を(得に悪影響を)与えてしまうことに対してものすごく恐れている部分があることには気がついていた。
だから、ヒーリングやカウンセリングを施す側になることにストップがかかっていることもわかっていた。

そこといよいよ本気で向き合う時なんだと思う。
先生をつうじてそのことも思い出させていただいた。

すべては自分が創造しているということを改めて感じる。だから世界のすべてに全責任がある。
けれども、相手の学びを尊重し、自分を責める必要はない。

一見相反するようなふたつの概念を同時に受け入れた上での、バランスのとり方がなんだか少しわかってきた・・・そんな気がした昨日の懇談会でした。

やはり最後に、先生、どうもありがとう。

そうそう、そして夜「神との対話」の続きを読もうと開いた。(神との対話②の9・P196。)
神「子供たちの教育ほど大きな問題はないね」
という言葉を皮切りに、私の中にあった「教育って何?」という疑問への答えがダーーーっと書いてあった。

もう、神の段取りのすばらしさには脱帽だ。
12:27 気づき | コメント(0) | トラックバック(0)

人生一おいしいパン

2009/02/25
うまれてから今までで食べたパンを全部思い出してください。
その中でナンバーワンをあげるとしたら、どんなパンですか?

私には迷わず「これだ!」と言い切れる、幸せになれるパンがあります。

それは、桶川の隠れた名店、玄関でひっそりと開店する謎のパン屋「うまこパン」さんの
天然酵母パンです。(まだ営業自体も実験中で、正式には、オープン(またれるも)まだの状態)

そう、やっているのは、友だちです。
しかし、本当に、そのパンたるやすばらしい!の一言。
パン作りがすき!という気持ちのみでたどり着いたそのパンは、もっちもちでやさしくてほのかに甘くて小麦の味が本当においしいんです。
そりゃ、こだわってますから。国産の小麦も銘柄きまってますし、塩もいろいろ試して見つけたらしいですし。まあ、とにかく、どこのパン屋のこだわりの天然酵母パンよりも、心がこもってパワーがあって、愛があってほっとするめちゃめちゃおいしいパンなんですよ。

ということで!kona*yuki企画第一弾!

桶川の名店「うまこパン」パン職人に教わる
天然酵母パンの会~愛ある手ごねでSOULFOOD~

私の自宅で、レシピ本には書いてないそこんところをたっぷり教えてもらいます。

3月5日(木)限定5名。

と、書いておいて、すみません。この場で募集するわけじゃないんです。
すでに、うまこパンファンで定員になってしまったもので。

食べること、作ること、生きること。いろんなことがパンを通して感じられます。
企画が終わったら、またご報告しま~す!
10:12 企画 | コメント(0) | トラックバック(0)

21日間の魔法

2009/02/17
最近読んだ本・・・野口嘉則著「三つの真実」。

「鏡の法則」の著者が放つ次なる作品。

成功法から宇宙の法則までをよくよく調べた上でシンプルにまとめた一冊で、
とにかくこれさえ実行すれば、それは人生かわるしかないだろう、的なわかりやすいけど奥深い内容です。

その中の一説に「21日間続いたことは習慣になる」というものがあって。
ということは、自分のものにしたいことは21日間続ければいいってことらしいんですね。

と思ってスタートした数々の試みが、あっさり2日くらいで終わってしまうのは、なぜ?
一回やったらもう21日間やったつもりになってしまう私って、何???

さてさて、そんな私とももうおさらばです。
知識を噂で終わらさないために
ここに、みなさまに宣言します!
(宣言せずに勝手にやれ~)

「これと思う項目を、21日間続けてやってみます!」

(はい。どうぞ。byみなさん)

読んでくれてありがとう!
09:49 道のり | コメント(0) | トラックバック(0)

脳の取り扱い説明書

2009/02/16
なんだそうだ。NLP神経言語プログラム。

昨日、日本コミュニケーショントレーナー協会が開催しているNLP入門コースに参加してきました~。
2時間半で3000円。日曜日にやってくれるというのも主婦の私には嬉しい限り。
内容からいって、とっても安い!!

ああ~、面白かったよ。

たとえばね、
質問 Q人間の脳が露出している部分がひとつあります。それはどこ?

答えは、目ですね。

で、話しているときの目の動きで、無意識のうちに、過去のことを話しているのか、未来のことをおもっているのか、または五感を思い出しているか、音を思い出しているかなどなど読み取ることができるんだって。それを実験したんだけど、本当にそうなってしまうからすごい。

質問 Q会話の内容でその人のいいたいことはほとんどわかる。イエスかノーか?

答え・・・ノー。

会話によるコミュニケーションを分析した結果、
言葉が占める割合はたったの7%。
じゃ、ほかの93%は何かっていうと、非言語がの部分なんだって。
非言語とは、声の質、見た目、ボディランゲージ。

こうやって書くと、へぇ~ってな感じで終わってしまいそうなんだけど、
具体的な場面に当てはめると、はっとしました。

人と話をするときに、相手と態度を合わせて話す。(同じ体勢で話はじめ、前のめりになれば同じ体の角度にするなど)
話の内容に「うん、そう~。へぇ~」などと、頭をうごかしながらちゃんとうなずく相槌。

こんなことをして話をすると、相手はとても「きいてもらった。この人とコミュニケーションがとれた」という気持ちになるものです。
それは実生活の中でもそうですよね。

ところが、一生懸命聞いていて、うなずいているけれど・・・・態度は、携帯をいじっている、料理をしながら相手(うちの場合は子供)の目をみていない。新聞に目をむけたまま、へぇ~とか適当に相槌うっている(日曜のパパ)などなど、結構遭遇する場面だよね。
これ、やられてみたら、すっごく聞いてもらえてない気持ちになるんですよ。
そして、全然コミュニケーションとれたという満足感が沸かないので、なんかさびしいの。

だから、会話の最初だけでも、相手と態度を同じにすれば、すごく違う。
同じ時間、同じ内容の会話をしても、聞き方で全然違う。
もしくは、会話の内容なすごく少なくて、時間が1分であったとしても、
態度をあわせて目を合わせて、頭をおおきくふってうなずけば、聞いてもらえたという満足感が生まれるというわけなんです。

なるほど~。
子供があれこれ一生懸命話しているのに、こっちは炒め物で目も手も離せない。。。でも一生懸命相槌うってる。。。。こんな母の努力は、まったくむくわれないわけだ。
だったら、炒め物の火を1分だけとめて(たとえチャーハンがべちゃついてしまっても・・・)
子供の目を見て同じ態度で話を聞いたほうが、子供にとっても受け入れてもらえたという気持ちになるわけだ。(母の気持ちは同じでもね。)

よくよく考えれば、これは、下の子が通う保育園の園長先生がよくいわれていることと一致する。
「お母さんが忙しいのはわかる。仕事おわって帰ってきて洗濯物は取り入れなきゃいけないし、子供はおなかすいて待ちきれないし、お風呂の準備もあるし。だけど、だけど、少しでいいからすべてを後回しにして、今日の子供に向き合ってください。この子は今日何を感じてきたのかなと」

そしてその園長先生とのコミュニケーションを思い出すと・・・
すれ違いざまに、目をみてにこ~っと笑って、「うん、うん」と深くうなずいてくれます。
これで交わした会話は一言二言なのに、なぜかコミュニケーションしたという気持ちになっていまいた。
ああ、本能でやっているんだな。
人間は本当はしっているんだけれど、実際に忙しい生活の中で大切にしていくこと、忘れそうになっていませんか?・・・・と、言われている気になりました。

これが非言語の部分の態度の一例。
他にも声のトーンで、無意識が示す本当にわかって欲しい部分をよみとってみたり。
そんなことを2時間半で垣間見せてくれた入門コースでした。

すっかりNLPに興味がわき、もっともっと知りたい!と知的好奇心刺激されまくりの私。
3月からプラクティショナーコースに通ってみることにしました。
(今回は自分で出向く。。。。いつか、こっちに来てもらおうという野望ありつつ、今回は、ね)

春です。新しいページが始りますね。
10:40 NLP | コメント(0) | トラックバック(0)

探しもの

2009/02/14
もうず~っと、仕事を探している私。
やとっていただこうと思い面接いくも、ご縁なし。

そんな状態がつづいていた先週、
またひとつ面接にいった先から丁寧に断られた。

昔の私ならば、がっかり。。。と落ち込むところなのだが、今回のリアクションは違った。
「あ~、いいことが起ころうとしている」
「きっと、私のために、上がそうやってサインを送っているんだな」
と素直にそして妙に納得したんです。
そして、春の気配よろしく、私の心にもうずうずとわきあがる謎のパワー。
な、なんか、妙に夢がふくらむ。

「髪は自分で切れる」という、新たなページを開いたことに続いて、
もうひとつ新たな信念を発見したんです。
それは、「興味あるところには自分が出向くのが当然」という信念。(男性性)
電車にのって、とか距離の話ね。

だけど、私はすごく乗り物酔いするほうで、人ごみも苦手。
考えるだけで結構疲れてしまうのがいつものことだった。

けど!昨日、信念があることに気づき手放そうと意図してから、すっごくワクワクしはじめている。
そうか「向こうに来てもらえばいいんだ」(女性性)

狩にでかける男性のような心境で仕事をさがしていた自分。それは無意識のうちに男性性を優位にしての行動であったと思います。仕事は男社会にまじってやるもの。女だからとか言われないためにがんばんなきゃ。とかね。昔の自分が自分に言い続けていた名残からか、仕事=自分の中の男性性がやるもの。というパターンに無意識にはまりこんでいたことに心が気づいた。
(男性性優位で仕事→そして苦しくなっていく・・・という経験はもういやっちゅうほどやったもんね。)

さてさて、だから!女性性を優位にしていながら、他を受け入れて、自分の役割を社会でする。という新たなスタートがみえてきました。家庭で母親をするというのがそれの最たるものかもしれませんが、
社会で経済活動を自分らしく無理せずするというのは、今までやったことないから。

やっと、自分の女性性を否定したり押さえ込んだりせず、認めた上でバランスを取るという発想が生まれた。変化の予感にうきうきしているのかもしれません。

う~ん、どんな展開になるかな~~~。
13:34 気づき | コメント(1) | トラックバック(0)

♪髪を切った私に~

2009/02/03
違う人みたいと~♪

言われなかった。ホッ。
昨日、うまれて初めて、自分で自分の髪を切ってみた。

友だちの中で数人、自分で切ったという人がいて、いつも感心していたのだけれど。
ついに私も!

やってみれば、案外できるものだ、ということがわかった。
後ろは旦那に鏡をもってもらってやってみた。でも、なんかもう鏡をみながらというより、感覚でザギザギっとやってみたよ。髪の量が結構多いほうなので、大胆にすいていきながら、なんとなくすっきりとしたショートヘアにおちついた。

帰宅した娘たちに自慢げに言った。
「髪切ったんだ~」
「え~?あんまりわからない」
「しかも!自分で~」
「へえ~・・・」

なんだ、リアクション小さ~。
でもいいのさ、自分では100点だもん!
楽しいよ!
15:03 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0)
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